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ごあいさつ
社長ご挨拶 社長 松尾正伸



社訓の由来について
社訓

岩井敏男元常務・手記より

山陽電研の設立については松尾巌氏(三代社長)は心血を注いで日夜奔走した。
自分よりも格段に社会的地位のある人達を説得して計画に参加してもらうということは、容易な事ではなかったが、その信念と誠意をもってこれに当り、昭和27年暮れには初代社長栄谷藤十郎氏を迎え、本社工場が落成した。
翌年の春、設立に伴う渉外活動も一段落し、自らは専務として社内を眺めるゆとりもできた。このとき、会社の礎は従業員であり、その強力な意志統一こそ次になすべき大切な事であると考えた。
そのためには、まず、「社是」か「社訓」というものが欲しかった。そしてまた、将来会社を運営してゆく自分自身にとっても、明確な指標を持ちたかったのである。
そこで社長にその原稿を願い出たのであるが、「私はいわば後見役で、会社の運営は君の裁量に任せている。社是・社訓についても、君の信念をまとめてみることだ。あとで筆は入れよう。」とのことであった。
さて、「社是」にするか「社訓」にするかということになったが、「社訓」にした方が従業員にとって親しみやすいので、「社訓」にすることになった。
以後、松尾専務は社訓の草稿に精魂を傾け、自己の信念のすべてを要約することに努める一方、数次にわたって社長の批判を請い、再考訂正しながら出来たのが、現在の「社訓」である。
社訓の冒頭にある『我社に職を奉ずる者は』と終段の『以て地方産業の発展に寄与すべし』の文章は、直接栄谷社長ご自身から頂いた言葉で、さすがに財界重鎮の迫力を感じたものである。
社訓は、このようにして松尾専務が約二か月にわたり、推敲に推敲を重ねて創りあげたものであるが、これを従業員を集めて発表するときには、「栄谷社長が、我々のために創ってくださったものである」と前置きしてから、内容の説明をした。このあたりにも、松尾専務の面目躍如たるものが感じられて、関係した者は、ひそかに感激したものである。

創立60周年記念碑
創立60周年記念碑
当社設立発起人 前取締役
㈱大本組取締役 名誉会長 大本榮一氏 寄贈
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